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Boys be ambitious!

 

こんにちわ(^o^)

 

今日は新型コロナウイルスの話題からあえて離れてみようと思います。

毎日ニュースで嫌というほど耳にして気分もどんよりしますからね(´・ω・`)

 

 

今日のお話は、不定期でこのブログの題材になる『今日は何の日?ブログ』です。
(そんなカテゴリーはありませんが(´゚д゚`)笑)

 

 

今日4月16日は『ボーイズ ビー アンビシャス デー』です。

 

Boys be ambitious、そうクラーク博士の言葉です。

 

クラーク博士って何者・・・?という人も
有名だから知ってるよ!という人も、どうぞお付き合いくださいませ(^o^)/

 

 

 

名前はウィリアム・スミス・クラーク。

1826年アメリカで生まれました。
お父さんは医師ですがクラークは医学ではなく、動物学・植物学・化学に魅力を感じていました。

 

大学卒業後は母校で化学を教えていましたが、さらなるステップアップのためドイツの大学に留学し、
化学と植物学を学び化学の博士号を取得したのです。

 

その後、20代でその優秀な成績をおさめたことが評価され、アマースト大学の教授となり、
専門である化学の他に、植物学動物学を教えていたようです。

 

 

その一方で、ドイツ留学のときから農業教育の必要性を感じていたクラークは、
新しく科学農学を教える学部を立ち上げました。

 

学部長となるも、なかなか上手くいかずに専門の農学校の必要性を感じます。

 

 

そこで、酪農を専門に学べるマサチューセッツ農科大学の学長に就任したのですが・・・

南北戦争への出征のため、一時的に教育者としての活動は中断されてしまいました。

 

 

その後、アマースト大学でクラークの授業を受けていた日本人留学生の紹介による
日本政府からの熱烈なオファーを受けて、

1876年7月に札幌農学校(現:北海道大学)の教頭として、はるばる日本にやってきたのです。

(余談ですが、このときの日本人留学生は後の『同志社大学の創立者』です。)

 

 

マサチューセッツ農科大学の1年間のバカンスを利用しての来日です。

 

自ら出征した南北戦争で多くの教え子を亡くした経験と、

同じように日本でも戊辰戦争で多くの若者が犠牲になった話を重ね、

少しでも復興の手助けをしたいという思いから日本行きを決断したそうです。

 

 

 

学生の中には元武士が多く、農民と同じ仕事をすることを嫌がりますが
クラークの熱心な指導により酪農への魅力を感じていきました。

 

 

このクラークの頑張りが、北海道が酪農そして農業の発展に繋がったことから

「北海道開拓の父」とも呼ばれています。

 

 

 

8ヶ月の滞在を終えて、アメリカに帰国する際の挨拶としてクラークはあの有名な
Boys be ambitious!(少年よ大志を抱け)の言葉を残したのです。

それが1877年の4月16日です。

 

 

 

 

その後、クラークは59歳で心臓病で亡くなります。

 

アメリカに戻った後も、札幌農学校の生徒たちとの文通を続け、
死の直前には「札幌で過ごした8ヶ月間こそ私の人生で最も輝かしい時だった」と語ったと伝えられています。

 

 

 

この有名な『Boys be ambitious』ですが、じつは続きがあります。

 

 

 

Boys be ambitious!.
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.

 

「少年よ、大志を抱け。
しかしお金を望み、私欲を満たし、名声を求めるような大志であってはならない。
人間が本来持つべきもののために、大志を抱け」

 

 

 

 

決して、お金や名誉を追い求める人になるのではなく
常に学ぶ姿勢を忘れずに人の役に立ちましょう!という内容です。

 

 

 

まさに教育者の鑑という感じがしますね(`・ω・´)

 

 

では、また(^^)/